《糸島のひと。》GOOD DAILY HUNT 林博之さん
2018.03.16
外は小雨が降りつつも嵐の過ぎたあとの春らしい気温になった3月某日。
糸島の筑前前原にあるアウトドア関連商品を取り扱うお店 GOOD DAILY HUNTのオーナー林博之さんはこの日もイベントのフライヤーを配りにあちこち出かけられたりと大忙し。
3月8日から三日間、主に九州で活動するブランドやクリエイターの衣食住あらゆる分野の作品が一同に集結する合同展示会[thought(ソウト)]が太宰府天満宮で開催になった。
林さんもその企画メンバーのひとり。
そして4月1日に開催となるイベントTHINNINGの準備で慌ただしい中お時間をいただき thought へ込めた想いや林さんのこれまでのこと、これからのことなどお話を伺わせていただきました。
その時の様子をお届けいたします。
スタンドバイミーからはじまるアウトドア人生
ーーお店はアウトドア商品が幅広く揃えられていたり、thought と平行して企画をされている糸島の間伐材や山の抱えている問題を考えるマーケットイベント THINNING など林さんには『アウトドア』や『自然』という言葉がキーワードになっているように思います。
林さん :
「もともとは中学校時代にスタンドバイミーという映画に出逢って、そこで子どもたちだけで焚き火するとか、子どもたちだけで旅に出るとかそういう価値観にどきどきしちゃったんです。
その頃は産まれ育った地元の千葉県 我孫子市というところに住んでたんですけど、地元の仲間を誘ってまずは近所の沼の公園で夜釣りしながら焚き火して、好きな女の子の話とかしながら朝まで過ごして。
なんか俺たちカッケーみたいな(笑)
そこからやっぱり映画の中にでてくるアメリカっぽさに憧れていくんです、ペプシのマークかっこいいとかバドワイザーかっこいいとか " アメカジ " というカルチャーに触れていった。
キャンプが好きになって夜釣りしてた仲間とお金を出し合ってホームセンターでめちゃくちゃ重たいキャンプテントを買って、それ持って奥多摩にキャンプしに行ったりしました。」
林さん :
「そのカルチャーに触れたのがきっかけにはなるんですけど高校卒業するとみんな趣味も少し変わってきた。
バイクで日本一周するやつ、普通の生活に戻っちゃうやつ。
僕はやっぱり旅が好きになっちゃったんです。
どうしても旅したくて高校3年のときに部活を辞めて、その時に近所に住んでる自転車で日本一周したお兄ちゃんに写真を見せてもらったら俺はこれをやりたいってなった。
最初は慣れてないので、一ヶ月間の夏休みに北海道に行ってJRの周遊券だけ買ってまわってたんですけど高校生でそんな旅してるやつ他にいなかったから大人に『高校生なのにすげーな、何でも食え』みたいにすごく可愛がってもらえた。
それがはじまりでした。」
林さん :
「社会体育の専門学校行きながら一ヶ月バイトして北海道に行く、一ヶ月九州に行く、二ヶ月沖縄に行く、一ヶ月ヒッチハイクして四国まわってみるとかそんなのを繰り返してました。
その後ビール配達のバイトとか工場とか短期で稼げるところでお金を貯めて、最後に強制的に長い旅をしたいなと思った時にどうすれば長く旅できるかなと思って、旅の行程の早さを遅くすれば長期の旅ができるなと思ったんです。
じゃあ交通手段使わずに歩けばいいやと。
22歳の時に北海道の稚内空港まで飛行機で飛んでそこからバックパックひとつでよーいどんでスタートして九州の最南端 佐多岬まで五ヶ月かけて歩きました。
その旅行がまた楽しくって。
別に冒険家ではないしその日どこまで歩こうがどれだけかかってもいいというスタンスだったから、バイトしたお金だけ郵便局に入れておいて旅をはじめました。
気の合ったひとがいたり、いい出逢いがあったら一週間くらい居着いたりしてそれを繰り返しながらお金が尽きるまで旅しましたね。
その時に北海道と沖縄と九州がすごく気に入りました。」
ーー沖縄はなんだか気持ちがわかるような気がします。
北海道が気に入った理由というのは何だったんですか?
林さん :
「北海道の人たちが一番旅人慣れしてたんですよ。
気候の気持ちいい時期に歩きたかったから五月にスタートしたんですけど、でも北海道ってでかい(笑)
ヘタしたら一日歩いてて一人も話せない時があったり(笑)
一番ひと恋しくなって、人は一人じゃダメなんだなと痛感した時間でした。
農場が見えたら必ず立ち寄って「こんにちは!」みたな、誰か私と話してくださいみたいな(笑)」
ーー旅してる、と話すと地元の方との話も盛り上がりそうですね。
林さん :
「稚内から旭川まで歩いてる最中はトラックの運転手さんの無線の中で俺が話題になってたらしくって。
ずっと同じ国道歩いてるから『あいつだいじょうぶか!』『誰か乗せてやれ』と(笑)
でも車が停まってくれるたびに『俺は九州まで歩くんで乗り物は乗りません。』って断ってたもんだからそれ以降は差し入れしてくれる事が増えてきて自衛隊の車も停まってくれた。
噂は聞いてるよ、っていいながら缶詰もらったりするたびにバックパックはどんどん重たくなって(笑)
そうしながら五ヶ月歩いて鹿児島から船で沖縄へ渡って石垣とか波照間とか与那国とかをさらに二ヶ月くらいかけてまわったかな。
旅を終えて、帰りは沖縄から関西空港まで自転車を輪行 (自転車の車輪を解体するなどして公共交通機関で運ぶこと) して渡って、大阪で自転車をまた組み直して自転車で千葉の家まで帰った。
全行程でだいたい8ヶ月くらいだったと思います。」
ーー長期の旅に出られる前は専門学校に通われてたということでしたがどんな分野の事を学ばれていたんですか?
林さん :
「通ってた社会体育の専門学校って卒業後はスポーツクラブとかスキーのインストラクターになる人が多いんです。
その頃ってぱっと見のイメージの職しか想像してないから実際にその業界がちゃんとお金がもらえるかとかブラックじゃないかとか分かんないんですよね。
在学中に校内にあるスポーツクラブに研修とかで入って現場の仕事内容が分かってきたりして、実際に働いてる社員さんと飲みに行ったりすると結局愚痴しかない。
そうするとこの業界やばいのかなとかって思って。
だから学校入って一年経たないうちにその業界では働く気はなかったですね。
でもそこにあった野外活動ゼミ的なとこに入って好きなやつと屋久島行ったり山に登ったり自然と遊ぶ活動はたくさんさせてもらってました。」
旅のなかで見えてきた景色
ーー最後に長期の旅をしようという事で北海道から徒歩で旅をされて、終えた後なにをしようというのは決められていたんですか?
林さん :
「いや、なにも決めてなかったですね。
旅に出ると自分みたいに短期でお金を貯めては旅を重ねてる自分よりも年上の人がたくさんいたんです。
沖縄に行って、石垣とか離島のキャンプ場に居座っちゃってるようなひとたちがだいたい30代半ばくらいだったんですけど、夜焚き火囲んで話してたりすると 親が具合悪いからそろそろ帰らなきゃとか、結局そういう生き方をやめるタイミングを逃した人たちが多かった。
親や家族の原因があると戻らざるを得ないんだけどそこからの社会復帰がすげー大変そうだなって言う話をしてたからこうなっちゃいけないなとは思ってました。
五ヶ月という長期の旅を必ずしなくても二泊三日だろうが一週間だろうが違う自分のやりたい事はみつけながらも旅の楽しみ方はあるはずだと。
この八ヶ月の旅の中でその辺りの事は感じて、終えたらまず働こうって思ってました。
明確だったのはそこで背負ってた道具や身につけてたものは " なんでもいい " って訳ではなかったという事。
パタゴニア着たいとかグレゴリーのザック背負いたいとか、そう言うものを届ける売り手にまわれたらこの経験も生かせるし仕事も楽しいだろうなと思ったんです。
結局帰って最初にバイトの面接受けたのがそのあと15年働く事になるアウトドア商品を輸入する会社だった。
そこで販売と営業を経験して6年前の2012年に震災をきかっけに家族で糸島へ引っ越してきました。」
ーーそう言えば以前お話をさせていただいた時に震災がきっかけで糸島へ来られたとおっしゃっていましたね。
林さん :
「働いてた当時自分も関東が好きだったからね、ただ北海道みたり九州見たりしてきたから漠然と環境のいい場所で暮らしたいなとは思ってました。
震災のタイミングで自分が暮らす場所のことをそうやって掘り下げて考えるようになったって人は多いんじゃないかな。」
ーーそうですね、震災のあった2011年は僕も地元佐賀を離れて東京の品川に住んでたんですけど、いつかどこかで暮らしたいの "いつか" が "今" 来たっていうのは確かにありましたね。
関東を離れるというのは林さんにとって故郷からも離れるという事にもなりますし普通の引っ越しとは少しちがったのではないですか。
林さん :
「気持ちを奮い立たせないとジャッジできなかったというのはありましたね。
積み重ねてきたものを手放すのはやっぱり怖かったし、自分だけでもそうだけど嫁さんや子どもそれぞれにもコミュニティーがあってそのすべてを一回切るようなものでしたから。
でも学んだのは一個の真実があったとしてもそれに対してこうしたい、ああしたいという気持ちがみんな一緒に揃うってことはないから自分たちがしたい方へ行くしかないということ。
そうじゃない人たちを否定もしないし、関東にいて今まで通りの事を続けてたほうが気持ち的にも楽だしそれがハッピーだって言われたらそれも間違いではないと思う。
どこだったら自分はがんばれるかみたいな。
結果として動いてみてダメだったら戻ってくればいいやくらいなね、でもなにもしないであの時ああしておけばってなるのが一番怖かった。
糸島はいろんな要因を覗いても普通に暮らしやすかったり食べものもおいしかったり遊びも楽しかったり、いろんなものを比べたら今は関東に戻るよりこっちにいたいです。」
ーー気に入られていた北海道ではなく糸島を引っ越し先に選ばれた理由というのはなんだったのでしょうか。
林さん :
「15年間アウトドアの道具に囲まれて仕事をしてきて、まったく違う土地で一から異業種に入って家族を養うだけのポジションに行くのは相当無理だろうなと思ってました。
これまでやってきた仕事は15年の経験や繋がりもあるし、だったらこれを使えばそんな自分を利用したいと思ってくれる人もいるだろうなと思ってフリーの営業マンになろうと決めました。
在籍していたのはアウトドアの輸入会社だったけどいろんなジャンルの流通を持っていてそれがすごく強みだったので、九州へ営業がなかなかできないと困ってるメーカーさんのお手伝いができればニーズはあるなと。
それで震災後一年悩んでる間にいろんなひとに任せてもらえないかと話をして、任せてくれる人が何人か集まったので九州へ行こうと決めた。
意を決して移住するなら自分の気持ちのいい場所に居たいなと思ってたんです。
福岡の都心部は便利だけどヘタしたら我孫子よりも都会になってしまうし、だったらサーフィンもするから海の近くにしようと糸島にしました。」
ーーそしていよいよ GOOD DAILY HUNT が動き出しますね。
林さん :
「自分のお店 GOOD DAILY HUNT は移住から5年目にOPENしました。
営業職が基本なので引っ越した2012年に商品サンプルの倉庫兼事務所として物件を借りたんですけど県外の営業先の方たちに「今度商品見に糸島へこっちから行くからいろいろ案内してよ」と言われはじめて。
だったらちゃんとショールームを糸島に構えたほうがスムーズに商談もできるかなと思って隣の部屋も借りて結局お店にしました。
結果こっちがアプローチしようとも思ってなかった人が来てくれたりとかして、予想しない出逢いの場所になっています。」
ーーそんな大切な基地となったお店 GOOD DAILY HUNT という名前の由来はなんですか?
林さん :
「震災きっかけで移住してきた人と話をしてるとよく " いかにありきたりな日常が幸せか " って話になる。
あの瞬間にすべてを流されてなくなっちゃうみたいな事を目の当たりにして、だからいろんな欲もあるけど今の状態がハッピーだよねと。 たまにそう言うの思い出さないとすぐ忘れちゃう。
だから DAILY(日常)がすでに素敵だっていうところで GOOD DAILY にしたかったんですけど、かたや自分たちが売ってるものって生きてく上で絶対必要なものではない。 贅沢品じゃないですか、これが着たいとか鞄はこれがいいとか。
でもそれを感じる世界で生きてきたからその欲の部分も楽しいし否定したくない。
自分で好きなものを探して捕まえるという意味を込めて GOOD DAILY HUNT にしました。」
ーーそんな林さんも企画で参加されているイベント thought が今年も開催となりましたね。
林さん :
「 thought は引っ越してきた翌年の2013年からはじめました。
年に九州を四周営業でまわっている中でいろんな洋服業界の人たちと出逢って、その中で知り合った長崎出身でFUJITOというブランドをやってる藤戸剛くんと仲良くなった。
そこからいろんな仲間に声をかけて、九州のブランドで合同展示会をしようと連絡をはじめたら30社くらい集まってもらえて長崎の波佐見で一回目を開催しました。
今5人で企画をしています。
出店するかどうかなどのやりとりは自分がやって他にもコピーを描く人がいる、そのうちの一人がメインのイメージになるフライヤーのデザインをしてくれてます。
最初に目に触れる部分でもあるしイベントのイメージを伝えるところだからとても大切で、これ見ただけで " 私っぽいかも " と思って来てもらえる。
福岡でもやりたかったけどなかなか貸してもらえる場所がなかったんです。
でもイベントを続けてるうちにイベント自体が話題になってくれて、そしたらとある高級和菓子屋さんが太宰府天満宮の宮司さんに話をしてくれたみたいで、それで天満宮さん側から連絡が来ました。
ふだん一般公開されてない天皇を案内するような貴重な建物を使っていいよとすごく寛大な提案をしていただいて、去年太宰府での開催が実現できました。
服だけでなくブランドとしてジャンルレスの展示会ではじめたかったんです。
thoughtは考えるって言う意味なんですけど基本は個の成功のため。
一人一人が真剣にお客さんに声をかけてその渦をみんなでシェアする。
みんなで考えて進んで行きたい。」
photo : THINNING サイトより
ーーthoughtの開催も無事終えられ、糸島の間伐材の利用や存在の周知などの想いをこめて立ち上げられたイベントTHINNINGも2018年4月1日に決定していますね。
様々な活動を踏まえてこれからどうなっていきたいなどお聞かせください。
林さん :
「これだけ営業職をやっているとインターネットでの物売りが加速して行く中でまだその勢いは伸びて行く一方だとよく耳にするんです、だからこれからリアル店舗はさらに大変になっていくと思う。
当たり前のようにリアル店舗がWEB SHOPを立ち上げていける今だけど、その技術がすごくなって行けば行くほど対局した対面販売の価値も絶対上がっていくんじゃないかというのも同時に思ってて。
そうするにはお客様の価値観を維持しなくちゃいけない、いい買い物もできておすすめのおいしいお店とか素敵な糸島スポットとかも聞けてよかったみたいなところに価値を見出してくれる人に来てもらえるように。
個でそう言った想いを発信しようとするとなかなかすぐには広がらないけど thought は同じ想いを持ったみんなで集まってバンと発信してそれ以降はそれぞれ個が発信をしていく。
その想いはTHINNINGも同じ考え方かな。
最終的には個が盛り上がっていく事が目標。
僕の場合だったらお店に足を運んでもらってたくさん話をしたり気に入ったものを買ってもらって、そうしながら卸も今まで通りがんばって楽しく糸島で生活できる糧になってくれればいいなと、それがゴールだと思ってます。」
ーー今まででこのお仕事をされていてよかったと思うことはなんですか?
林さん :
「物売りの商売もいろんなスタイルがあるけど自分は「安いから買ってください」というのはできない性分なので、なぜ買ってほしいのかの意味がないと熱を持って届けられない。
そうやって届けてるとそれが響いてくれた人が友達を連れてきてくれたりする。
自分のパッションが一人のひとに伝わって、それがまた別の人へ伝わってくれる。
それは伝えてくれた人と伝えられた人との間に信頼関係があるからで、そういうつながり方をしていく事はすごいことだと思うんです。
それが大きなひとつのコミュニティーになるしそれがおもしろい。
すると自分がまだ絡んでいないコミュニティーにたどり着いたりして今まで知らなかった世界の価値を自分も知る事ができる。
SNSみたいな生じゃない繋がりもあるけど最後はこういうことが " 継続 " に繋がっていく。
こうやって広がる繋がりがすごくおもしろいなと思うしそれを感じられる瞬間はいいですね。
その意味じゃ糸島に来てよかったと思うんです、本当。」
ーー今日は貴重なお話をありがとうございました。
また THINNING でお会いできるのを楽しみにしています。
穏やかな表情から発せられる言葉はどれもしっかりとした重みをもっていて、両手でしっかり受けとめたくなるものばかり。
スタンドバイミーからはじまった " アウトドアを生きる " という一人のロードムービーを観せてもらったような濃密なお話を聞かせていただきました。
thought と THINNING 。
林さんの携わられているすべての事には10代〜20代の頃さまざまな場所へ旅されたときに繋がった方、お世話になった方にもらったものへの感謝とある種の恩返しが込められているように思います。
パッションが誰かへ伝わるように、林さんもたくさんの人たちから受け取ったパッションのバトンをここ糸島の地を基地に渡されようとしている。
4月1日の THINNING 開催日にはみんなで出かけてそのバトンを受け取りに行きましょう。
次は僕らの番です。
そして、林さんの旅はまだまだ続くのだと思います。
文 : 山口達也
写真 : tokuto (写真家)
《イベント情報》
2018年4月1日(日)
会場 : 丸田池公園
※JR筑前前原駅から徒歩約5分
時間 : 10:00 - 17:00
雨天中止 (前日の21時に判断)
※情報はSNSにて発信します
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